早稲田ロマン研究会ブログ

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早稲田祭の形式化ー過去の無秩序に思いを馳せる

某日、私が所属する別サークルにおいて早稲田大学の学園祭である早稲田祭で飲食店を出店するというので、看板作成の手伝いをしてきた。

 

美術要員がいないそのサークルでは作業は思った以上に進まず後日どこかで作業を継続しようという段取りになったのだが、そこで問題が起こった。

 

早稲田祭2018年運営スタッフ(以下、運スタ)によると大学構内はおろか、付近の公園でも作業は許されないというのだ。

 

たしかに、早稲田祭は当局が公認しているイベントではないから大学構内での作業は決まった時間以外は不可というのは分からなくもない(でも、私は大学は当局のものではなく我々学生のものだと思っているので、通行の妨げにならなければ良いと思っているのだがそれについては別の機会に綴ろうと思う)。

 

しかし、公園での作業不可とはあまり納得できる話ではない。公園での活動は学実の管轄の外のものであるはずだからである。

 

一応東京都立公園条例を一通り読んでみたが禁止行為の中に「絵の具を使うこと」や「アート作成」、「看板作成」などに関する決まりはないようだ。

http://www.reiki.metro.tokyo.jp/reiki_honbun/g1011484001.html

 

実際私も戸山公園でタテカン作成に関わったことがある。何も注意は受けなかった。

 

批判を恐れすぎている気がするのは私だけだろうか。

 

たしかに、早稲田祭は一度、不正会計の問題で1996年に中止に追い込まれそれまで早稲田祭を取り仕切っていた革マル派が追放される形で今の「早稲田祭2002年実行委員」が設立され2002年にようやく復活したという経緯がある(以下の記事参照)。

http://waseda-ad.com/wasead/waseda/wasedasai-fukkatsu/

 

おそらく、付近の住民からの批判を恐れた運スタの自主規制なのであろう。

 

通報が早稲田大学の当局に行けば再び中止に追いやられてしまう可能性も「完全には」否定しきれない。

 

一度、当局が学生の署名活動を見ても渋りに渋って6年かけてやっと開催を承認してもらったという運スタのバックグラウンドから鑑みるに「当局の信頼が第一」と考え、公園の使用禁止という過剰とも思われる自主規制をやってしまうのも無理はないかもしれない。

 

しかし、それは学生をそれでガチガチに縛ることによって早稲田祭を硬直化、形式化させてしまっているのではないだろうか。

 

「しかし年次を追うごとに早稲田祭は形式化し、運スタはお役所化してしまったという声をよく聞きます。早稲田祭の面白みが減っている。」

http://chuyasai2016.hatenablog.com/entry/2016/10/21/212328

 

たしかに、今年の企画の数は450個もあるらしい。それは正直にすごいと思う。

 

しかし、企画だけが早稲田祭の楽しさであっていいのだろうか。

 

私はそうは思わない。

 

早稲田祭の過去についてを調べてみると次のような記事が見つかった。

 

早稲田大学は1997年から2002年までの6年間、学園祭が中断していた。現在は2日間開催だが、かつては本祭4日間に加え準備撤収を含めて、一週間にわたり行われる大規模な祭りであった。飲酒は全面解禁であり、準備日の2日間だけでベロベロに酔っ払ってしまう人間が続出したとか。さらに、マイナーアイドルであった制服向上委員会のライブに、『愚連』と呼ばれる過激なファンが乱入し消化器を撒き散らすなど、カオスな風景も見られたようだ。なぜ、こうした風景が学園祭に存在していたのかといえば、60~70年代に勃興した学生運動を経て、学生のサークル活動が一定の自治を獲得していたためだろう。現在、こうした風景が失われてしまったのは寂しいものだ。」

https://www.excite.co.jp/News/90s/20161111/E1477036152614.html?_p=2#ixzz5TKsiN7Z5

 

この記事が言及している時代の状況は今とはかなり違うものである。

 

学生運動はもはや終焉してしまったといってもいいし、学生のサークル活動は地下部室を奪われて自治などというものは消え失せた。学生会館からは22時に出ねばならいし、最近では地下2階の練習スペースまで当局からまともな通知も説明もないまま練習を禁止された。喫煙所も減るばかり、諏訪通り沿いのタテカンも無くなってしまった。

 

そんな状況に今の運スタの規制を恐れた形式化の原因が潜んでいるならば修正は不可能なものに思われる。私が何か言っても学生運動もサークル自治も復活しないだろう。

 

しかし、私としては、そのような時代に思いを馳せざるを得ないのである。そこは形式化した催しの会場ではなくて、規制を恐れない無秩序が充満していた場所であった。

 

私は自由に対して快哉を叫びたいし、そんな文化祭を追い求めていきたい。今の大学は全体として規制と自主規制でがんじがらめになっている。

 

早稲田LINKSのインタビューに対しで運スタの統括が次のように答えたことがあった。

 

早稲田祭を運営している者として昔の過ちを忘れず、危機意識や再発防止の意識を持つことを伝えているんです。」

http://www.waseda-links.com/circle4/

 

しかし、学生運動時代から形成され、97年に終わりを告げた無秩序な学園祭文化は、不正会計問題という一点だけで否定されてしまってはならない。それは、昔の学園祭の一面しか見ていないことになるからだ。過去の早稲田祭の本質とは不正会計でも革マルが実質的に牛耳っていたことでもなく、草の根の学生の自主的で当局からの規制も自主規制もない自由な空間にあったのではないか。

 

規制をされ、またそれを恐れて形式化してしまった大学生活があるからこそ、そのような無形の無秩序に思いを馳せて得られるものがあると私は考える。